リビア:ポエニ・ローマ遺跡調査(2008年12月21日~30日)

小方 登(京都大学名誉教授)


調査対象地域の概要を示すLANDSAT画像(4シーンを接合)。

 ここでは,2008年12月21日〜30日に行ったリビアでの調査の記録を衛星画像などとともに紹介します。調査は,科学研究費プロジェクト「フェニキア・カルタゴ考古学から見た古代の東地中海」(基盤研究(A)課題番号20251007,代表者:泉拓良京都大学文学研究科教授)の一環としてなされました。調査対象となった2つの主要な遺跡,サブラータとレプティス・マグナは,オエア(現トリポリ)とともに3市連合(トリポリス)を構成していました。紀元前10世紀ごろからフェニキア人の寄港地となり,カルタゴの影響下でポエニ都市として形成されたと考えられています。ポエニ戦争でカルタゴがローマに敗れた後,前1世紀にローマ帝国の支配下に入り,ローマ都市としてさらに発展しました。
 なかでもレプティス・マグナは,皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193-211年)の出身地だったことから帝国の厚遇を受け,大規模なモニュメントや公共建造物が造られました。ローマ帝国の衰退とともに,サブラータとレプティス・マグナは荒廃して砂に埋もれたため保存状態がよく,壮大なローマ都市の姿を今日に伝える遺跡としてユネスコの世界遺産にも登録されています。ローマ都市としてのサブラータとレプティス・マグナは,カルド(大通り)を中心に規則的な都市計画が施され,円形劇場や円形闘技場といった公共建造物が配置されていました。一方,フェニキア・ポエニ都市としての両市は,港を中心とするより小規模なものだったと考えられています。

【参考文献】

リビアは2011年以後,内戦状態にあると報道されています。この美しい国に平和が戻ることを願ってやみません。


12月22日:ドバイ経由でトリポリ着。トリポリ泊。


12月23日:午前にジャマヒリーヤ博物館を見学。午後にはトリポリ旧市街を散策。

←トリポリ旧市街のスーク(市場街)。
トリポリ旧市街のスーク→

 
←トリポリ旧市街のスーク。旧市街はローマ都市の跡に位置するため,ローマ時代の建材をこのように利用しているのが見られる。
旧市街にたたずむマルクス・アウレリウス門。ローマ時代のモニュメント→


12月24日:サブラータの都市遺跡を見学。サブラータはポエニ時代に起源を持つ,ローマ帝国時代の港町の遺跡である。

 
←ポエニ風モニュメント《ベスの塔》。
サブラータ市街地跡の街路→

←海岸沿いにある《フォルム東神殿》。
《フォルム東神殿》の列柱→

←住宅床面のモザイク模様。
床面のカラー・モザイク模様。海を見渡せる浴場か→

 
←サブラータ遺跡の円形劇場。屹立している建物部分は,破片を元に再構築されたもの。
外側から見る円形劇場の建物→


12月25日:トリポリから西南方,内陸のナフーサ山地に点在する都市・集落の建築様式を見学。この地域はベルベル人という民族の居住地で,言葉も公用語であるアラビア語とは異なっている。

←トリポリ周辺のオリーブ園。リビアの地中海沿岸ではオリーブの栽培が盛ん。
ナフーサ山地は高原状を呈する→

 
←ナフーサ山地の上,クサール・ハッジの倉庫建築。
倉庫建築の内側→

 
←山地を降りて西行。ラクダを放牧しているのが見られる。
再び山地に向かう。途中の崖の上からの眺望→

 
←カバウの町に到着。石造りの住居兼倉庫。
倉庫内部にある陶製容器→

 
←住居兼倉庫の頂部にある倉庫群。
オリーブ油を作る搾油機→

←帰途につく。沿道で陶器を売る露天市。
途中案内された,半地下式住居→


12月26日:トリポリからホムスに移動し,郊外にあるレプティス・マグナ遺跡を見学。ポエニ時代からの海港都市であるが,ローマ時代2世紀末に出たセプティミウス・セウェルス帝はレプティス・マグナの出身で,故郷を帝都ローマに匹敵する大都市に改造した。

 
←セプティミウス・セウェルス門と市街を貫くカルド(大通り)。
ハドリアヌスの浴場→

 
←セプティミウス・セウェルスのフォーラム。
セプティミウス・セウェルスのバシリカ(会堂)。柱の頂部にグリフィンの像が刻まれている→

←八角形の外郭と円形の内部を組み合わせた市場の建物。
レプティス・マグナ遺跡の円形劇場→


12月27日:レプティス・マグナ東郊にあるアンフィテアトル(円形闘技場),キルクス(戦車競技場)を見学し,さらに海岸沿いに西へ向かい海港の入口にあった東西の突堤と,それぞれの先端にある灯台跡を見る。夕方はトリポリに戻る。

 
←レプティス・マグナ遺跡東郊にある円形闘技場。
闘技場への入口→

 
←闘技場観客席に通じる巨大アーチ。
円形闘技場に隣接する戦車競技場。長円形のトラックが見える→

←戦車競技場から海岸沿いに港の跡へ向かう。地中海の色が美しい。
海岸沿いにある魚河岸の生け簀の跡(?)→

レブダ川の河口に位置するレプティス・マグナ港湾遺跡のQuickBird画像(2008年8月7日撮影:© DigitalGlobe)。波止場を外洋と区切る東西の突堤跡やそれぞれの先端にあった灯台の跡,また突堤上に整然と配列された倉庫群の跡が判読できる。レプティス・マグナ市街の遺跡はここから西方,円形闘技場や戦車競技場の遺跡はここから東方にある。本来の波止場の跡はすでに埋まっており,東の灯台と西の灯台の間は,砂浜を歩いて渡ることができる。

←港の入口を望む。手前(左)が東の灯台。向こう(右)が西の灯台。
西の突堤の先端にある灯台跡→

 
←東の突堤に戻る。東の突堤に連なる倉庫群。収納スペースの区切りが見える。
東の突堤の護岸跡。海へ降りる石段や船を係留するための穴が見える→


夕方,トリポリに戻り,旧市街のスークを散策,買い物をする。

 
←狭く入り組んだ小路からなる旧市街のスーク。照明が明るく,露天商も多い。買い物客も表通りより多く,活気がある。
色とりどりの香辛料を商う薬種店の店頭→


12月28日:午前,ジャマヒリーヤ博物館を見学。

 
←《タニトの印》。フェニキア・ポエニ世界の女神。
ポエニ風の人物像→

 
←アンノバル・ルフス像。レプティス・マグナの大規模な公共建造物を寄贈した。
漁をする人々を描いたモザイク→


午後,トリポリの空港へ。ドバイへ向かうも,飛行機の遅延のため,大阪行きの便に乗り継げず,ドバイでまる1日足止め(29日)。

12月30日:午前2時,飛行機に搭乗するも,またまた遅延。午前5時ようやく離陸。関西空港へ。


Created by Noboru Ogata
Since 30/Jul/2009 : Updated 01/Apr/2015