カラホト(黒城)のCORONA衛星写真。1969年9月29日撮影。

「カンプチュー〔甘州:現在の張掖〕の町をたって北方に向け12日間の騎行を続けると,砂漠の縁辺に位置するエチナ市に着く。ここもタングート大州〔旧西夏〕の一部で,住民は偶像教徒である。」(マルコ・ポーロ『東方見聞録』,愛宕松男訳注,平凡社刊)

「ようやくハラ・ホトそのものが見えてきた。町は,粗い粒子の堅いハンハイ砂岩からできた低い段丘の上にあった。堡塁の北西隅に,とがった大スブルガン(仏塔)がそびえていた。そのほかに,一列の比較的小さい,同様に城壁の上に建てられたスブルガン,あるいは堡塁のそとの城壁と並んで建てられたスブルガンが見えた。」(コズロフ『蒙古と青海』,西義之訳,白水社刊)

カラホトの城塞都市は,黒河下流域オアシスの要衝として,西夏時代に建設され,元の時代に拡張されたと考えられている。上の写真に見える長方形の城塞区画の東北隅に接して,やや小さな長方形区画が判読できるが,これが西夏時代の城壁とされる。現在,カラホト周辺には砂漠の景観が広がっているが,上掲の衛星写真からは,かつて付近に河川が分流しながら流れ,土地を潤していたことが判読できる。上のコズロフの著作は,「(シナの)皇帝の軍勢」がカラホトを攻略する際,「町のそばを流れるエツィン・ゴル〔エチナ川〕を,左方に,つまり西の方へ誘導したのである」という現地に伝わる伝承を紹介している。これが史実であるか確認することはできないが,LANDSAT画像で示される旧居延オアシスと現在のエチナ・オアシスの位置関係を考慮すると,興味深い話ではある。


CORONA satellite photographs are available from U. S. Geological Survey, EROS Data Center, Sioux Falls, SD, USA.