小方 登(京都大学 人間・環境学研究科)
【参考文献】
- Bo Sommarstrom, Archaeological Researches in the Edsen-gol Region Inner Mongolia, Part I and II, Statens Etnografiska Museum, 1956-58.
- コズロフ(西義之訳)『蒙古と青海』,白水社,2004年(ロシア語の原書は1923年刊,元の訳書は1967年刊)。
- 永田英正『居延漢簡の研究』,同朋舎,1989年。
- 籾山明『漢帝国と辺境社会』,中公新書,1999年。
- 魏堅主編『額済納漢簡』,広西師範大学出版社,2005年。
- 井上・加藤・森谷編『オアシス地域史論叢 ― 黒河流域2000年の点描 ―』,松香堂,2007年。
8月4日:北京で魏先生・斉先生らと合流し,銀川へ。銀川泊。
8月5日:銀川から,エチナ・オアシスの中心都市,ダライ・フブへ。以下,10日まで同地に滞在。
まる1日かけて車で移動するが,その間,都市・集落などはほとんどなく,ひたすら乾いたゴビ灘(礫漠)が続く。地平線に逃げ水が見える。 |
8月6日午前:漢代の烽燧(烽火台)の遺構,大同城,カラホト(黒城)の都市遺跡を見学。
←漢代の烽燧の遺構。「第十四燧」とされる。 | ||
大同城→ |
カラホト城壁の西側面→ |
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←カラホト城壁の西北隅にある仏塔群 | ||
内側から見た城壁→ |
8月6日午後:オアシス北方にある《A1》「ツォンツェン・アマ」遺跡を見学。出土木簡に見える漢代の「殄北候官」とされる。
←《A1》遺跡の城壁。 | ||
城壁の上からの風景。砂交じりの風が吹きすさぶ→ |
8月7日:午前は《K688》,午後は《K710》を見学。これらの符号は,ベリマンらがつけたもので,いずれも漢代の軍事・行政の拠点であった。《K710》は出土木簡に見える「居延都尉府」であったと考えられている。
←《K688》別名「ヤプライ城」の城壁。 |
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《K688》の城壁は,巨大なタマリスク・コーンで覆われている部分も多い→ |
←胡楊の木陰で昼食&昼寝。 | ||
足音に目を覚ますと,放牧されているラクダの群れが歩いていた→ |
←《K710》の城壁。内部には陶片や石臼が散乱している。 | ||
《K710》の全景。左の写真奥に見える砂丘の上から撮影→ |
「呴黎湖単于が立つと,漢は光禄徐自為をつかわし,五原の楡林塞から数百里を出,その尖兵は千余里の遠方に出て,盧胊山にいたるまで、山塞や望楼をつらね築かせた。そして遊撃将軍韓説・長平侯衛伉らをその近傍に駐屯させ,彊弩都尉の路博徳に命じて,居延沢のほとりに塞を築かせた。」『史記』「匈奴列伝」(小竹文夫・小竹武夫訳,筑摩書房刊)より。
8月8日:午前は《P1》「ボロ・ツォンチ」遺跡,午後は《A8》「ム・ドゥルベルジン」遺跡を見学。《P1》は「卅井候官」,《A8》は「甲渠候官」に,それぞれ比定されている。
←目的地は遠いので,砂漠の中で行程を確認。 | ||
《P1》「ボロ・ツォンチ」。自然の丘の上に漢代の烽燧がある→ |
←途中の砂漠では,ヤギが放牧されていた。 | ||
昼食と休憩は,近隣のラクダ畜産家の天幕でお世話になる→ |
←ゴビ灘を行く。 | ||
《A1》「ム・ドゥルベルジン」遺跡。「甲渠候官」とされる→ |
8月9日:1日かけて「緑城」遺跡周辺を見学。
緑城付近のCORONA衛星写真。1969年9月29日撮影。 緑城は,衛星写真上に楕円の囲郭として見える集落遺跡であり,魏先生の説明によれば,その起源は漢代以前にさかのぼるという。さらに緑城の周辺には,後の時代の墳墓が多く分布し,石臼や陶片などの遺物も多い。衛星写真でも現地の観察でも特に目立つのは,網の目のように張り巡らされた巨大な用水路の遺構であり,かつて当地で灌漑農業が行われていたことがわかる。しかし,現在ではほとんど住む人のない砂漠となっている。 |
←暑さを避け,早朝に出発。朝日がまぶしい。 | ||
緑城に近づく。地上に見える構造物は,魏晋および西夏・元時代の墳墓が多い→ |
←緑城の城壁。古い部分は漢代以前にさかのぼるという。 | ||
西夏・元代の水路跡。向こうに見えるのは魏晋代の墳墓→ |
8月10日:エチナ・オアシスの北,黒河(エチナ川)の終端にある湖,ソゴ・ノールと,この湖を見下ろす高台にあるチベット仏教の聖地,ボロ・オボなどを見学。途中の道筋には,胡楊の森がある。
←チベット仏教の聖地,ボロ・オボ。 | ||
ボロ・オボがある高台から眺望するソゴ・ノール→ |
←胡楊の巨木。「神樹」として尊崇されている。 |
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夕方には,内蒙古自治区成立60周年の記念行事が催された。ダライ・フブにて→ |
8月11日:早朝,ダライ・フブを発って銀川へ。同日,空路北京へ。北京泊。
8月12日:北京発。帰途へ。
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Since 05/Apr/2008 : Updated 26/Mar/2020