小方 登(京都大学名誉教授)
このページでは,科研費プロジェクト「中国タリム盆地におけるシルクロード時代の遺跡の立地条件からみた類型化 ― 衛星写真CORONAの活用を通して ―」(代表:相馬秀廣・奈良女子大学教授)の一環として2005年8月に行われた,中国・新疆ウイグル自治区・タリム盆地周辺での調査について紹介します。この調査では,于志勇先生はじめ,新疆文物考古研究所の研究者の方々にお世話になりました。研究成果のうち且末(チェルチェン)に関する部分は,以下の論文で刊行されました。
この研究プロジェクトのリーダーだった相馬先生は2012年8月に逝去されました。ここに謹んでご冥福をお祈りします。
8月12日:ウルムチからコルラへ移動。
←焉耆(カラシャール)付近のオアシスで。ヒマワリの栽培。 | ||
焉耆からコルラへの峠道→ |
8月13日:タリム盆地東縁を横断して,コルラから若羌を経てミーラン(米蘭)へ移動。最初は小雨,行程の中程では砂嵐に遭遇。
←タリム川末端の水郷地帯。 | ||
当地に典型的なオアシス景観。蒲昌城付近→ |
←タリム川の末端付近の水たまり。 | ||
砂嵐の中,強風で胡楊の枝もしなう→ |
←対向車もヘッドライトを点灯。 | ||
路面を砂が舞う→ |
8月14日:ミーラン(米蘭)の遺跡を調査。
←タマリスク・コーン(紅柳包)。当地の典型的景観。 |
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ミーラン遺跡の《M13》。望楼→ |
←ミーラン遺跡の《M14》。仏教の祠堂。 | ||
ミーラン遺跡の《M7》。仏教のストゥーパ→ |
←ミーラン遺跡の《M3》。仏教の祠堂。 | ||
ミーラン遺跡の《M4》。仏教の僧院→ |
←ミーラン遺跡の《M2》。仏教寺院。 | ||
ミーラン遺跡の《M1》要塞。夕景→ |
衛星画像やAW3D地形データを分析し,ミーラン遺跡の水路網の跡について考察した。
←ミーラン遺跡のCORONA衛星写真。 | ||
衛星画像から復原したミーラン遺跡の古代の用水路網→ |
地形データAW3Dで示されるミーラン遺跡→ |
8月15日:ミーランの遺跡を調査の後,ミーランから若羌に移動。
←L字型に屈曲した末端水路跡。ミーラン遺跡。 | ||
幹線水路(右)と櫛の歯状に分岐する末端水路(左)。ミーラン遺跡→ |
←平行に走る末端水路跡に立ってもらった。ミーラン遺跡。 | ||
ミーランから若羌へ。道路は水流の跡を横断する→ |
8月16日:若羌(チャルクリク)周辺で調査。
←チャルクリク川の護岸(霞堤?)。 | ||
バシ=コユマール遺跡と川べりの段丘。遠景はアルティン山脈→ |
8月17日:チャルクリクから且末(チェルチェン)に移動。且末周辺のザグンルク古墓群や且末遺跡を調査。
←且末へ向かう途中の小さなオアシス。 | ||
増水のため,川岸がえぐられたチェルチェン川→ |
←且末郊外のトフラク庄園。 | ||
且末オアシス西南側に広がる且末遺跡→ |
←且末遺跡の景観。 | ||
且末遺跡にある古代の用水路跡→ |
←且末遺跡の「バンク」の上。 | ||
「タティ」の景観。且末遺跡→ |
帰国後,CORONA衛星写真やSRTM地形データを分析し,且末遺跡の水路網の跡について考察した。
←且末遺跡のCORONA衛星写真(1964/10/21)。 | ||
CORONA衛星写真から判読された且末遺跡の水路網跡→ |
SRTM地形データに表れた且末遺跡の水路網跡→ |
8月18日:且末から輪台に移動。タリム盆地・タクラマカン砂漠を横断。
←タクラマカン砂漠の砂丘。 | ||
タクラマカン砂漠を横断するタリム沙漠公路→ |
←タリム川。 | ||
タリム川大橋近くの市場で食事→ |
8月19日:輪台からトルファンに移動。午後,交河故城を見学。
←交河故城。 |
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交河故城。故城を囲繞する断崖→ |
←交河故城にある塔林のストゥーパ。 | ||
トルファンの夜市→ |
8月20日:高昌故城,火焔山を見学。ウルムチから北京へ。
←高昌故城。故城西南の仏寺。 | ||
高昌故城の外城北壁→ |
火焔山→ |
8月21日:北京発。帰途へ。
北京の故宮。北側の景山から→ |
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