小方 登(京都大学名誉教授)
ここでは,2011年3月13日〜20日に行ったレバノンでの調査の記録を衛星画像などとともに紹介します。調査は,科学研究費プロジェクト「フェニキア・カルタゴ考古学から見た古代の東地中海」(基盤研究(A)課題番号20251007,代表者:泉拓良京都大学文学研究科教授)の一環としてなされました。調査対象は紀元前2千年紀から1千年紀にかけて現在のレバノンの地中海沿岸で栄えたシドン・テュロスをはじめとする都市国家の遺構と,その周辺地域です。
北西セム語族に属するフェニキア人は,紀元前2千年紀(前2000〜1000年)に,現在のレバノン海岸にビュブロス(ゲバル)・シドン・テュロス(ツロ)などいくつもの都市国家を形成したと考えられています。レバノン山脈に産出する杉材を用いて船を造り,地中海の商業・交易を発展させ,大いに繁栄しました。地中海沿岸に広く寄港地・植民都市を建設し,ジブラルタル海峡を越えて大西洋岸にも進出したと考えられています。植民都市のなかで,チュニジアにあったカルタゴは,後に大国へと発展しました。フェニキア人は工芸にも優れ,とりわけ紫貝を原料とする紫色の染め物は有名でした。
フェニキア人は海戦で活躍する一方,アッシリア・ペルシアなど同時代の陸上の帝国には従属することも多かったようです。前4世紀のアレクサンドロス大王東征以後ヘレニズム世界に入り,続いて前1世紀にローマ帝国に組み込まれるに至り,フェニキア独自の文化は薄らいでゆきます。テュロスではローマ風の町並みの遺構を見ることができます。
現在のレバノン・シリアにあるフェニキア都市には,共通する特徴があります。地中海に臨み良港を持ち,富貴で有名なわりにはこぢんまりとしていました。海岸沿いの岩礁に立地することが多く,テュロス・アラドス(アルワド)のように本土に近い沖合の島に立地する場合もありました。シドン・テュロスの場合,海岸線に平行に南北に走る岩礁を防波堤のように活用して,港湾を整備したように見受けられます。このホームページでは,衛星画像の判読・解釈を通して,こうしたフェニキア都市の立地・形態上の特徴を明らかにします。
【参考文献】
- N. Jidejian, Byblos through the Ages, Dar el-Machreq Publishers, 1968.
- N. Jidejian, Tyre through the Ages, Dar el-Machreq Publishers, 1969.
- N. Jidejian, Sidon through the Ages, Dar el-Machreq Publishers, 1971.
- G. E. マーコウ,片山陽子訳『フェニキア人』,創元社,2007年(G. E. Markoe, Phoenicians, University of California Press, 2000)。
- 栗田伸子・佐藤育子『通商国家カルタゴ(興亡の世界史03)』,講談社,2009年。
調査対象地域の概要を示すLANDSAT画像(ETM+:2000年6月22日撮影)。 |
古代フェニキアの地形の概観。レバノン山脈が海岸に迫っていることがわかる。地形データは SRTM DEM から作成(高さを2倍に強調),上掲の衛星画像をドレープしている。 |
3月13日:関西空港発。14日ドバイ着。飛行機を乗り換え,ベイルート着。昼間は市内を見学し,ベイルート泊。
3月15日:レバノン山脈を越え,ベカー高原にあるアンジャルの遺跡とバールベックの遺跡を見学。
←ウマイヤ朝期の都市遺跡,アンジャル。十字をなす大通りの交差点にある四面門。 |
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アンジャルの都市遺跡。背景は雪をいただくレバノン山脈→ |
←バールベックの神殿群。ジュピター神殿(右)とバッカス神殿(左)。 |
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ジュピター神殿前の中庭は六角形の平面形を持つ→ |
←ジュピター神殿前庭の建物のドーム。 |
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ジュピター神殿の前面→ |
←バールベックのジュピター神殿に残された巨大な列柱。 |
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ジュピター神殿の建築材→ |
←バールベックのバッカス神殿。 |
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バールベックの神殿群に近い石切場。巨大な石材が切り出し中に放置された→ |
3月16日:午前はビュブロスを見学。午後はトリポリ市内を見学。
ビュブロスのCORONA衛星写真(1968年3月21日撮影)。矢印で示しているのが,古代都市の遺構である。 |
←十字軍時代の城砦。手前左は青銅器時代の城壁。 |
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都市遺跡の地下にある石棺→ |
←石積み。建物の基礎であろう。 | ||
《オベリスク神殿》→ |
←トリポリ市内の石けん工場。かつてキャラバンサライ(隊商宿)だった建物。 |
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サン・ジル城からのトリポリ市街の眺望→ |
3月17日:カルブ川河口の岩壁石彫を見学した後,カディーシャ渓谷へ。修道院などを見学し,この夜はカディーシャ渓谷にあるブシャーレという町のホテル泊。
←カルブ川河口近くにかかる石橋。 |
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アッシリア王エサルハドンの石彫→ |
←レバノン山脈のカディーシャ渓谷で保護されてきたレバノン杉。 |
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サン・エリゼ修道院。カディーシャ渓谷の谷底,岩壁を穿って造られている→ |
←サン・エリゼ修道院内部。 |
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カディーシャ渓谷にあるブシャーレの町→ |
←ブシャーレのホテルから見る夕日。 | ||
ブシャーレのホテルから見るレバノン山脈→ |
3月18日:シドンとサレプタを見学。夕方にテュロス着。
←シドン近郊にあるエシュムン神殿の遺跡。 | ||
エシュムン神殿の玉座→ |
シドンのCORONA衛星写真(1967年6月17日撮影)。 |
←シドンの《海の城》。 |
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《海の城》から見るシドンの市街→ |
←テル・ブラク遺跡。 | ||
サレプタ遺跡→ |
←テュロスの陸繋砂州から見る地中海に沈む夕日。 | ||
テュロスの《シティ・サイト》遺跡→ |
3月19日:午前はテュロスの遺跡を見学。ベイルートに向かい,途中シドン郊外の発掘現場を見学。
テュロスのCORONA衛星写真(1967年6月17日撮影)。 |
←テュロスの《シティ・サイト》遺跡にある長方形の構造物。 | ||
貯水槽群の遺構→ |
←浴場の遺構。 |
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テュロスの《シティ・サイト》遺跡。列柱通り。→ |
←《アル・バース》遺跡のネクロポリス(共同墓地)。 |
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《アル・バース》遺跡の列柱通りにあるモニュメント門→ |
←シドン郊外にある《ダッケルマン遺跡》。 | ||
発掘されたローマン・ロードの路面→ |
3月19日午後:ベイルート国立博物館を見学した後,ベイルート空港に向かい,帰国へ。
←ビュブロス王アヒラムの石棺。ビュブロス出土,紀元前1000年頃。 |
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ビュブロス王の名が刻まれたオベリスク。ビュブロスの《オベリスク神殿》出土→ |
←青銅製男性小像。ビュブロス出土。 |
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演壇。シドン郊外エシュムン神域出土,紀元前350年頃→ |
←アレクサンドロスの誕生を描いたモザイク画。 | ||
復元された紫の染め物→ |
3月20日:未明ドバイ着。関西空港行きに乗り換え。日本時間20日夕方,関空着。
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